【转载者按】村上春树于2月22日前往以色列接受耶路撒冷文学奖。在他动身之前,以色列进攻加沙地带,攻击哈马斯组织。因为这个缘故,许多人劝说村上春树不要去以色列,甚至表示如果他去了的话,就会抵制他的书。可是,村上春树还是去了,并且在那里发表了一次讲演。
博客BTR(鼻涕人)根据以色列《Haaretz》报上刊登的演讲内容,翻译为中文。
作者:鼻涕人《看得见风景的房间》
来源:
村上春树:永远在蛋这一边(上)
村上春树:永远在蛋这一边(下)
《永远在蛋这一边》高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ
村上春树
今天我作为一个小说家来到耶路撒冷,也就是说,作为一个职业撒谎者。
当然,并不只有小说家才撒谎。政治家也做这个,我们都知道。外交官和军人有时也说他们自己的那种谎,二手车销售员、肉贩和建筑商也是。但小说家的谎言与其他人的不同,因为没有人会批评小说家说谎不道德。甚至,他说的谎言越好、越大、制造谎言的方式越有独创性,他就越有可能受到公众和评论家的表扬。为什么会这样呢?
我的回答会是这样:即,通过讲述精巧的谎言——也就是说,通过编造看起来是真实的虚构故事——小说家能够把一种真实带到新的地方,赋予它新的见解。在多数情况下,要以原初的形态领会一个事实并准确描绘它,几乎是不可能的。因此我们把事实从它的藏身之处诱出,将之转移到虚构之地,用虚构的形式取而代之,以试图抓住它的尾巴。然而,为了完成这点,我们必须首先厘清在我们之中真实在哪儿。要编造优秀的谎言,这是一种重要的资质。
不过,今天我不打算撒谎。我会努力尽可能地诚实。一年里有几天我不说谎,今天碰巧就是其中之一。
所以让我告诉你们一个事实。很多人建议我不要来这儿领取耶路撒冷奖。有些人甚至警告我,如果我来,他们就会策划抵制我的书。
此中的原因,当然是肆虐于加沙地区的激烈战争。联合国报道,有超过一千多人在被封锁的加沙城内失去了生命,其中不少是手无寸铁的公民——孩子和老人。
收到获奖通知后,我多次问自己,是否要在像这样的时候到以色列来,接受一个文学奖是不是合适,这是否会造成一种印象,让人以为我支持冲突的某一方,以为我赞同某国决意释放其压倒性军事力量的政策。当然,我不愿予人这种印象。我不赞同任何战争,我不支持任何国家。当然,我也不想看见我的书遭到抵制。
然而最终,经过仔细考虑,我下定决心来到这里。我如此决定的原因之一是,有太多人建议我不要来。或许,就像许多其他小说家,对于人们要我做的事,我倾向于反其道而行之。如果人们告诉我——尤其当他们警告我——“别去那儿,”“别做那个,”我就倾向于想去那儿,想做那个。你们或许可以说,这是我作为小说家的天性。小说家是异类。他们不能真正相信任何他们没有亲眼看过、亲手接触过的东西。
而那就是我为什么在这儿。我宁愿来这儿,而非呆在远处。我宁愿亲眼来看,而非不去观看。我宁愿向你们演讲,而非什么都不说。
这并不是说我来这儿,是来传达政治讯息的。当然,做出是非判断是小说家最重要的职责之一。
然而,把这些判断传达给他人的方式,要留给每个作家来决定。我自己宁愿把它们转化为故事——趋向于超现实的故事。因此今天我不打算站在你们面前,传达直接的政治讯息。
但请你们允许我发表一条非常私人的讯息。这是我写小说时一直记在心里的东西。我从未郑重其事到把它写在纸上,贴到墙上:而宁愿,把它刻在我内心的墙上,它大约如此:
“在一堵坚硬的高墙和一只撞向它的蛋之间,我会永远站在蛋这一边。”
对,不管墙有多么正确,蛋有多么错,我都会站在蛋这一边。其他人会不得不决定,什么是对,什么是错;也许时间或历史会决定。如果有一个小说家,不管出于何种理由,所写的作品站在墙那边,那么这样的作品会有什么价值呢?
这个隐喻的涵义是什么?有些情况下,它实在太简单明白了。轰炸机、坦克、火箭和白磷炮弹是那坚硬的高墙。蛋是那些被碾碎、被烧焦、被射杀的手无寸铁的平民。这是该隐喻的涵义之一。
可这不是全部。它有更深刻的涵义。这样来想。我们每个人,或多或少,都是一个蛋。我们每个人都是一个独特的、无法取代的灵魂,被包裹在一个脆弱的壳里。我是如此,你们每一个人也是。而我们每个人,多多少少都面对着一堵坚硬的高墙。这堵墙有个名字:它叫体制(The System)。体制应该保护我们,但有时,它不再受任何人所控,然后它开始杀害我们,及令我们杀害他人---无情地,高效地,系统地。
我写小说只有一个理由,那就是使个人灵魂的尊严显现,并用光芒照耀它。故事的用意是敲响警钟,使一道光线对准体制,以防止它使我们的灵魂陷于它的网络而贬低灵魂。我完全相信,小说家的任务是通过写作故事来不断试图厘清每个个体灵魂的独特性---生与死的故事,爱的故事,使人哭泣、使人害怕得发抖和捧腹大笑的故事。这就是为什么我们日复一日,以极其严肃的态度编造着虚构故事的原因。
我的父亲去年去世,享年九十。他是位退休教师,兼佛教僧人。读研究院时,他应征入伍,被派去中国打仗。我是战后出生的孩子,经常看见他每日早餐前,在家里的佛坛前长时间虔诚地祈祷。有一次,我问他为什么这样做,他告诉我他是在为那些在战争中死去的人们祈祷。
他说,他为所有死去的人祈祷,无论敌友。我凝视着他跪在祭坛前的背影,似乎感到死亡的阴影笼罩着他。
我的父亲死了,他带走了他的记忆,我永远不可能了解的记忆。但潜藏在他周围的死亡气息却留在了我自身的记忆里。这是少数几样我从他那儿承继下去的东西之一,其中最重要的之一。
今天我只希望向你们传达一件事。我们都是人类,都是超越国籍、种族、宗教的个体,都是脆弱的蛋,面对着一堵叫作“体制”的坚硬的墙。显然,我们没有获胜的希望。这堵墙太高,太强---也太冷。假如我们有任何赢的希望,那一定来自我们对于自身及他人灵魂绝对的独特性和不可替代性的信任,来自于我们灵魂聚集一处获得的温暖。
花点时间想一想这个吧。我们每个人都拥有一个真实的、活着的灵魂。体制没有这种东西。我们一定不能让体制来利用我们。我们一定不能让体制完全失去控制。体制没有造就我们,我们造就了体制。
那就是所有我要对你们说的话。
我很荣幸获得耶路撒冷奖。我很荣幸我的书正被世界上许多地方的人们阅读着。我也很高兴今天有这机会向你们演讲。
(完)
こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
今天我作为一个小说家来到耶路撒冷,也就是说,作为一个职业撒谎者。
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
当然,并不只有小说家才撒谎。政治家也做这个,我们都知道。外交官和军人有时也说他们自己的那种谎,二手车销售员、肉贩和建筑商也是。但小说家的谎言与其他人的不同,因为没有人会批评小说家说谎不道德。甚至,他说的谎言越好、越大、制造谎言的方式越有独创性,他就越有可能受到公众和评论家的表扬。为什么会这样呢?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。
我的回答会是这样:即,通过讲述精巧的谎言——也就是说,通过编造看起来是真实的虚构故事 ——小说家能够把一种真实带到新的地方,赋予它新的见解。在多数情况下,要以原初的形态领会一个事实并准确描绘它,几乎是不可能的。因此我们把事实从它的藏身之处诱出,将之转移到虚构之地,用虚构的形式取而代之,以试图抓住它的尾巴。然而,为了完成这点,我们必须首先厘清在我们之中真实在哪儿。要编造优秀的谎言,这是一种重要的资质。
そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。
不过,今天我不打算撒谎。我会努力尽可能地诚实。一年里有几天我不说谎,今天碰巧就是其中之一。
真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。
所以让我告诉你们一个事实。很多人建议我不要来这儿领取耶路撒冷奖。有些人甚至警告我,如果我来,他们就会策划抵制我的书。此中的原因,当然是肆虐于加沙地区的激烈战争。联合国报道,有超过一千多人在被封锁的加沙城内失去了生命,其中不少是手无寸铁的公民——孩子和老人。
受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。
收到获奖通知后,我多次问自己,是否要在像这样的时候到以色列来,接受一个文学奖是不是合适,这是否会造成一种印象,让人以为我支持冲突的某一方,以为我赞同某国决意释放其压倒性军事力量的政策。当然,我不愿予人这种印象。我不赞同任何战争,我不支持任何国家。当然,我也不想看见我的书遭到抵制。
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。
然而最终,经过仔细考虑,我下定决心来到这里。我如此决定的原因之一是,有太多人建议我不要来。或许,就像许多其他小说家,对于人们要我做的事,我倾向于反其道而行之。如果人们告诉我——尤其当他们警告我——“别去那儿,”“别做那个,”我就倾向于想去那儿,想做那个。你们或许可以说,这是我作为小说家的天性。小说家是异类。他们不能真正相信任何他们没有亲眼看过、亲手接触过的东西。
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
而那就是我为什么在这儿。我宁愿来这儿,而非呆在远处。我宁愿亲眼来看,而非不去观看。我宁愿向你们演讲,而非什么都不说。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
但请你们允许我发表一条非常私人的讯息。这是我写小说时一直记在心里的东西。我从未郑重其事到把它写在纸上,贴到墙上:而宁愿,把它刻在我内心的墙上,它大约如此:
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
“在一堵坚硬的高墙和一只撞向它的蛋之间,我会永远站在蛋这一边。”
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
对,不管墙有多么正确,蛋有多么错,我都会站在蛋这一边。其他人会不得不决定,什么是对,什么是错;也许时间或历史会决定。如果有一个小说家,不管出于何种理由,所写的作品站在墙那边,那么这样的作品会有什么价值呢?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
而以上比喻的意义何在?有些情况下,这些意义只是太简单、太清晰了。炸弹和坦克和飞弹和白磷弹就是那面高墙。而那些鸡蛋就是那些手无寸铁的平民,他们被炮弹粉碎、烧毁、击中。这是这比喻的一层意味。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
然而这不是全部。它还有更深的含义。试着这样想:我们每一个人,都或多或少地,是一枚鸡蛋。我们每一个人都是一个独特的、不可替代的灵魂,而这灵魂覆盖着一个脆弱的外壳。这就是我自己的真相,而且这也是你们每一个人的真相。而且我们每一个人,程度或轻或重地,都在面对着一面高大的、坚固的墙。而这面墙有一个名字:它的名字叫做“体制 ”。这个体制本来应该保护我们,但是有时候它有了生命,而这时它开始杀死我们,并且怂恿我们互相残杀——冷血地、有效地、系统性地残杀。
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。
我写作小说只有一个原因,而那就是为了使个体灵魂的尊严彰显,并且闪闪发光世人可见。一个故事的目的是敲响一个警钟,是燃亮灯火不灭,从而令在体制之中的我们的灵魂不至迷陷于体制的巨网,不至于被体制损害。我真的相信小说作者的工作就是通过写作不断地去尝试将个体灵魂的独特性澄清——那些关于生与死的故事,那些关于爱的故事,那些让人们落泪、并且因恐惧而战栗、因大笑而颤抖的故事。这就是我们继续着的原因,一天又一天,用极致的严肃捏造着虚幻的小说。
私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
我的父亲去年以九十高龄去世了。他是名退休的教师,兼一名业余的僧人。当他在京都学校毕业后,他被征选进了军队,派送至了中国。我作为战后的一代,每天清晨早饭之前都会看到他在我家那个小小的佛坛前虔诚地念经、久久地晨诵。有一次我问他为什么要这样做,他告诉我他在为那些战争中死去的人们祈祷。他在为那些战争中死去的人们祈祷,不论己方和敌方。看着他跪在佛坛前的背影,我似乎感觉到一片死亡的阴影在他的上方盘旋。
父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。
我父亲去世了,而他的记忆也随之而去,那些记忆我将永远也不会知道。而那潜伏于他周身的死亡气息则停留在了我的记忆之中。这是我从他那里得到的少数东西之一,并且是其中最重要的一个。
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
我今天只有一个讯息希望传达给你们。那就是我们都是人类,是超越了国籍种族和信仰的个体,并且我们都是面对着名为体制的坚固墙体的脆弱的鸡蛋。照一切看来,我们没有赢的胜算。墙太高大了,太强大的——而且太冷酷了。如果我们还有一点点胜利的希望,那么它将来自于我们对于自己的和其他人的灵魂当中的那种极致的独特行和不可替代性的信念,来自于对于我们从灵魂的联合所获得的那种温暖的信念。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。これが、私がお話ししたいすべてです。
请花一点点时间想想这个。我们每一个人都拥有一副脆弱的、但活生生的灵魂。而体制一无所有。我们一定不能任由体制去剥削我们。我们一定不能允许体制有它自己的意志。因为体制并不创造我们:是我们创造了体制。这就是我全部想说的。
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。
我非常荣幸能够被授予耶路撒冷文学奖。我非常荣幸我的书被世界上那么多地方的人所阅读。而且我非常想对以色列的读者们表达我的感激。你们是我来到这里的最大动因。而且我希望我们分享了一些东西,一些充满了意义的东西。我非常高兴今天在这里有这个机会与你们对话。非常感谢。



二月 26th, 2009 at 10:48 下午
话说菜头还懂日文?
二月 26th, 2009 at 10:49 下午
每一个字都让我打心底赞同的演讲,如果国内的大多数FQ右派之流不是一谈起GD就要操完人家十八代祖宗的架势而是能够有三分的心平气和实事求是,也不会像如今这样招人厌恶。
二月 26th, 2009 at 10:53 下午
@aya:
在国内的话,一样会被骂,说他是装逼。
二月 26th, 2009 at 10:57 下午
非常荣幸能读到他的演讲。
二月 26th, 2009 at 10:58 下午
ls,恐怕不实事求是不是右派的主要责任吧。。
二月 26th, 2009 at 11:02 下午
村上春树,这个家伙很有才
二月 26th, 2009 at 11:12 下午
涌泉 Says:
02月 26th, 2009 at 10:58 pm
ls,恐怕不实事求是不是右派的主要责任吧。。
——这是什么意思 我听不懂
二月 26th, 2009 at 11:26 下午
聪明、有爱的作家
二月 26th, 2009 at 11:29 下午
很像hecaitou写的东西..
二月 26th, 2009 at 11:40 下午
@和菜头:
我只是觉得村上的这篇演讲表现得真诚而且有理可循,而国内的很多论坛上面的风气通常是出屁大点事情就直接上粗口,不需要任何推理过程一切罪魁祸首立马绝对都是TG。中立派看多了只能觉得如果GD不能救国这帮子人也只会更加误国。
村上会不会在国内被骂是另外回事了。各人观想不同,只要骂人的人不要骂得太难看。
二月 26th, 2009 at 11:54 下午
善莫大焉,虽然初看标题想歪了
二月 27th, 2009 at 12:02 上午
好文
二月 27th, 2009 at 12:05 上午
@aya:
我觉得你太过急切了一点。
中国开言禁,也就是有了网络以来的这十多年时间。而且,现在连网络也收了口子。你想一下,当一群憋久了的人,终于开了个口子,就像饿极了的人饥不择食一样,目前肯定是口不择言。
这些粗口固然让人不爽,但是,它们本身也是言论自由的体现。你不能不承认一点,即使是粗口,起码是他们的真心话,而不是报纸和会议上那种客套话、场面话。在我看来,这起码是一种进步。虽然距离理想的状况还有相当距离,但是能有这么一步比万马齐喑要强。
所以,我觉得你性急了一些,多有点耐心,多有点宽容,这不是朝夕之间的事情,需要时间。
同时,我也想提醒你一点:当个人集合为群体,一般都是乌合之众。如果想在大众中发现点什么真正有价值的讨论,怕是有点缘木求鱼的味道。一个人可以是IQ135,但是一万个IQ135的聚合起来,群体的IQ值却可能连75都不到。这就是大众,这就是人类。这种情况不单是在中国有,在世界各地都有。国外的论坛里,或者Blog的跟贴里,也是混蛋大把。假设每三个臭皮匠就等于一个诸葛亮,那么出于生存竞争的考虑,人类早已经过度繁衍,为的只是增加数量从而在总量上提高智力发展水平。而现实显然不是如此,所以没有必要寄望于出现大数人群的文明人。
至于说到误国与否,中国的传统就是精英政治。而在我们这个时代,政治早已经是专业人士才能操弄的事业,非专业政治家不成。你所担忧的其实是个伪问题,你所不喜悦的一群,大约永远也没有机会问鼎权力最高层,只会是保持在野之身,继续嚷嚷。而对于社会来说,有这种如芒在被的嚷嚷在监督,也是一件好事。
你是一个好人,但是忧虑了太多本不应该忧虑的事情。网络上的风波,不妨看作是一种演出,或者一个永远不结束的游戏。在这个游戏里,永远值得观赏的是人性本身。既然拿了一张免费的门票,那就心平气和地看演出吧。
二月 27th, 2009 at 12:05 上午
嗯,这样长的回帖,也只有我才能写得出来。
自赞一下!
二月 27th, 2009 at 12:15 上午
@菜头:
。。。。。。
二月 27th, 2009 at 12:16 上午
大概看了,他说得真好.
有几处翻译得不准.比方译文说"二手车推销员",原文只是说"汽车推销员",没有提到"二手车"; 译文说 "当他在京都学校毕业后,他被征选近了军队",原文是说"当他还是京都的硕士生时,他被征选近了军队"
二月 27th, 2009 at 12:17 上午
抱歉,"近"该是"进"字
二月 27th, 2009 at 12:23 上午
和兄也是一个好人。狠多人的粗口,不一定真是因为愤怒,而是学习某些有影响力的人的作风,比如学习某些时候的和兄——他们希望学习你们的外在风格来获得杀气,获得力量,来让自己感到不虚弱。
但是这只会让他们触怒和他们对立的人,他们损伤别人也被别人损害,于是性格也许就真的被扭转了。
二月 27th, 2009 at 12:36 上午
@3
国内会有人这么说么?即使是装,也得有这胆量这分量吧。
二月 27th, 2009 at 1:03 上午
村上春樹至少沒裝,而且表現得很真誠。
一個作家是不是在裝,看他的謊言就知道了,在這里我指的正是他所說的“故事”。
一個能寫出震動人心的謊言的人,他不是會裝的人,至少,他不會試圖去裝。
蛋和墻的比喻讓人有所觸動,也想到了不少有關的話題,希望他能繼續站在蛋那一邊,即使墻才是對的。我們最終需要的畢竟不是正確,而是安寧。
二月 27th, 2009 at 1:16 上午
和蔡头,这几天看你买了跑步机后的一些博客,突然很强烈的也想买个跑步机,想请教一下,因为我实在是一窍不通,能给点建议吗?
我是SOHO,也是个100%宅男,实在是懒得动,所以想找个东西锻炼一下,预算大概也就2-3K,不过如果功能实在是差很大的话,我还是想买个好一点的...
如果有空的话,如果有心情的话,能介绍下吗?
我看了下京东的跑步机,还不错...
另外,抓瞎上收藏了你博客,每天都看一下你跟王小峰的,你是昆明人吧,去年9月份去云南玩了整整一个月,昆明啊,大理啊,丽江啊,香格里拉啊,梅里雪山啊,虎跳峡啊,玉龙雪山啥的...都留下了我的身影... 云南很好很漂亮....惦记着...
二月 27th, 2009 at 1:35 上午
蛋喻当然是打动蛋蛋的心,不过,日本国内也是这样体制与人冲突严重?
还是,他们仅仅屈就这世上的不平与破坏?
我以为,一个发达资本主义国家的作家,在自由支配理性的条件下,是应该更深刻地思考个人灵魂的安宁与幸福。
而我国,显然还在争取自由与公民权的阶段。
二月 27th, 2009 at 1:40 上午
村上给那个已经用滥掉的词做出的注解---------人性的光辉
二月 27th, 2009 at 1:41 上午
收藏了这篇,没事看看,胜过无聊。。。。
二月 27th, 2009 at 3:02 上午
以色列网站的原文:http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html
昨天看到这篇文章时就去原文仔细看了一遍评论,以色列人与西方人的争执读上去是那么的有“熟悉感”。
村上在小说里就不断说过,文字是永远被误解的。
二月 27th, 2009 at 7:10 上午
谢谢转载。他是我喜欢的活着的小说家。
(我把原文搜出来,连带这里的中文翻译一起贴出来了)。
二月 27th, 2009 at 7:37 上午
村上的中文功底很深哪。这里还有一层隐喻,“扯蛋”其实就是指撒谎 。但“扯蛋”又和“撒谎”不同,“谎“是指谎言,而“蛋”是指事实。永远站在蛋这边也就是永远站在事实这边。
呵呵,说笑了。开始看标题还以为他是想说:永远站在“性”这边。因为他的作品我都看过,而“蛋”让我直接想到了男人身上的两个蛋蛋。
仔细看了全文,才想到,话说村上的很多小说都谈到了体制与人的冲突。《舞舞舞》就是一个典型。现在还记得书中对体制的描述:
“那些手持日本佩刀的恶棍攻上门来,而警察却对这类事件迟迟不予制止,因为早已有话通到警察的最高上司那里了。这甚至不算是腐败,而是一种体制,也就是所谓投资。”
二月 27th, 2009 at 9:01 上午
永远在蛋的一边,这不是左派吗。我准备要读一些马克思的著作。以便了解这位据说中国的什么问题都是他的错的思想。
二月 27th, 2009 at 9:24 上午
谢谢喝菜头分享,长知识,把此分享给我认识的在写小说的人了。
二月 27th, 2009 at 10:20 上午
“These walls are kind of funny like that. First you hate them, then you get used tothem.Enough time passed, get so you depend on them. That's institutionalizing.”
刚入狱的时候,你痛恨周围的高墙;慢慢的,你习惯生活在其中;最终你会发现自己不得不依靠它而生存。那就是体制化。
二月 27th, 2009 at 10:22 上午
讲得真好
二月 27th, 2009 at 10:41 上午
回贴很好~
二月 27th, 2009 at 10:53 上午
又一次想尝试避开林少华的译本。
二月 27th, 2009 at 10:56 上午
我写小说只有一个理由,那就是使个人灵魂的尊严显现,并用光芒照耀它。
中国人能有尊严吗?从北京往西走,再往西,到祖国的边疆看看,北京的存在就像一个谎言,一块遮羞布。除了瞎子我们都能看见,但很多人,幸福的人选择看不见,其他人,只是沉默。
二月 27th, 2009 at 11:06 上午
很感人,这样思考透彻又真正在乎生命的人太少了,希望更多的人看到这篇文章!
二月 27th, 2009 at 11:12 上午
但似乎很讽刺,体制的高墙是蛋创造出来的,高墙上高墙下,同质的蛋在对峙……那怎么说呢?对人的信念该如何产生呢?
二月 27th, 2009 at 11:13 上午
"如果有一个小说家,不管出于何种理由,所写的作品站在墙那边,那么这样的作品会有什么价值呢?"
言简意赅:所有的主旋律作品都是没有价值的,都是垃圾。
二月 27th, 2009 at 12:51 下午
以前看过村上春树的东西,不喜欢。
这片文章,改变了我对他的态度。
另,菜头有爱。
二月 27th, 2009 at 2:20 下午
@和菜头:
谢谢菜头的指点。如你所说,网络上的风波,不妨看作是一种演出或者游戏。虽然能够明白,但是阅历尚浅修养不够,没有几年的历练难免还是看着心浮气躁。
而菜头所说的不要寄希望于出现大多数的文明人。虽然现实是如此,但是在网络上乱逛,时常也能看到不少很有意思的言论(如同这篇村上的演讲等),让人眼前一亮。所以还是期望多看到一些像这样的东西。我觉得这还是值得期待的。即使最后事与愿违,也不至于伤筋动骨^_^
再谢谢菜头你说我是一个好人O(∩_∩)O,虽然我自认担当不起。
二月 27th, 2009 at 2:34 下午
@七葉 :
同感与蛋和墙的比喻,就像以卵击石式的理想主义。虽然没有获胜的希望,但却让人肃然起敬。
年过半百了还依然站在蛋的这一边,有几个人能坚持到这个时候呢?
二月 27th, 2009 at 4:18 下午
致敬
二月 27th, 2009 at 5:36 下午
看来我真该读读村上君的书了。
莫名其妙地想起了IROBOT,IEGG的命运会如何?
二月 27th, 2009 at 6:28 下午
滴水穿石,飞蛋撞墙
二月 27th, 2009 at 6:33 下午
村上会得诺贝尔文学奖吗?
二月 27th, 2009 at 7:36 下午
“在一堵坚硬的高墙和一只撞向它的蛋之间,我会永远站在蛋这一边。”
我们每个人,或多或少,都是一个蛋。我们每个人都是一个独特的、无法取代的灵魂,被包裹在一个脆弱的壳里。我是如此,你们每一个人也是。而我们每个人,多多少少都面对着一堵坚硬的高墙。这堵墙有个名字:它叫体制(The System)。体制应该保护我们,但有时,它不再受任何人所控,然后它开始杀害我们,及令我们杀害他人---无情地,高效地,系统地。
我写小说只有一个理由,那就是使个人灵魂的尊严显现,并用光芒照耀它。……
光看标题真看不出来啥意思...
有良知的悲天悯人的作家,值得看看他精心编造的“谎言”。
二月 28th, 2009 at 12:18 上午
看了,存了,也转了。
其实道理有很多种说法,我们才刚刚开始学着说真话,还需要再学习说能打动人的真话
二月 28th, 2009 at 12:45 上午
上下未形,何由考之?
冥昭瞢暗,谁能极之?
冯翼惟像,何以识之?
明明暗暗,惟时何为?
阴阳三合,何本何化?
圜则九重,孰营度之?
惟兹何功,孰初作之?
......汗!
三月 1st, 2009 at 7:47 上午
已经在自已的博客上全文转了 村上春村是我晚青春时期的偶像(大学毕业之后到成家之前的这一段 我觉得可以用晚青春来形容 呵呵),到现在还是那么有力量 终于明白为什么自己那么喜欢他的小说了 这才是一个真正小说家的作派 中国的那些写字的所谓小说家们 请别再内哄了 好好写字吧 尊重人性 尊从自己的内心 谢谢
三月 4th, 2009 at 11:15 下午
人的一生,往往是:物竞选择,适者生存!
五月 5th, 2009 at 11:16 下午
短小但是精悍的发言!
六月 24th, 2009 at 11:27 上午
真是好文啊。
村上真是值得敬佩的小说家。
无法做到村上这么优秀。
现在努力向他学习,跑马拉松。
哈哈。